秋が深まってくると

 

紅葉 俳句 有名

 

紅葉が色づく季節となります。

 

そんな紅葉の俳句で
有名なものは何があるのでしょうか?

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紅葉の俳句で有名なものは?

紅葉の俳句の中でもとくに有名なものを
詩人ごとでまとめてみました。

 

 

紅葉の俳句:松尾芭蕉

色付や豆腐に落ちて薄紅葉

蔦の葉は昔めきたる紅葉哉

鬼灯は実も葉も殻も紅葉哉

 

「色付や豆腐に落ちて薄紅葉」

という俳句の意味は

 

紅葉狩りの席で出された紅葉豆腐
つまり唐辛子で色を付けた豆腐を見た芭蕉が

 

「これは豆腐の上に落ちた紅葉が
色を付けているのではないか?」

といったことからきてるとされています。

 

なので、

芭蕉は唐辛子の色を
紅葉に見立てたということなのです。

 

次に

蔦の葉は昔めきたる紅葉哉

という俳句については

 

紅葉といえば楓や漆などが思い浮かぶけど
そんな中で蔦の葉がひと際紅いことから

「昔めきたる(昔のような)」

と芭蕉は表現したということですが、

 

あまりに根拠が弱くて
この俳句は評価されなかったとのことです。

 

そして

鬼灯は実も葉も殻も紅葉哉

という俳句については

 

鬼灯の実は初めは緑色だけど
熟れると赤くなります。

 

そして鬼灯の実が赤くなったのは
殻が赤くなったことで分かるし、

殻が赤くなる頃には
葉も赤みを帯びてくるという意味になってます。

 

ちなみに
紅葉哉は「もみじかな」と読みます。

 

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紅葉の俳句:与謝蕪村

山暮れて紅葉の朱を奪うけり

このもよりかのも色こき紅葉哉

二荒や紅葉が中の朱の橋

よらで過る藤沢寺のもみぢ哉

西行の夜具も出て有紅葉哉

むら紅葉会津商人なつかしき

 

 

山暮れて紅葉の朱を奪うけり

という俳句は
秋の山の情景を思い浮かべたもので

 

真っ赤な紅葉が
日が落ちるとともに色を失っていく

という情景を表しています。

 

このもよりかのも色こき紅葉哉

という俳句には

 

山いっぱいの紅葉を見た与謝蕪村が

 

「こっちの紅葉よりあっちの紅葉がきれい」

「いやそっちの紅葉のほうが綺麗かもしれない」

 

とかわるがわる紅葉を見て興奮し
仲間たちと紅葉狩りを楽しんでる様子を表してます。

 

 

紅葉の俳句:小林一茶

真間寺で斯う拾ひしよ散紅葉

日の暮の背中淋しき紅葉哉

夕紅葉谷残虹の消かかる

小男鹿の水鼻ぬぐふ紅葉哉

 

 

真間寺で斯う拾ひしよ散紅葉

という俳句には

 

真間寺で散った紅葉を拾ってみた

といった意味が存在しています。

 

また、

日の暮の背中淋しき紅葉哉

という俳句には

 

日が暮れてしまい
紅い紅葉の色が夜の闇に消えていく

という様子を表していて、

 

どんな綺麗なものにも
いつか終りが来ることを意味しています。

 

 

紅葉の俳句:正岡子規

古寺に灯のともりたる紅葉哉

千山の紅葉一すぢの流れ哉

山に倚つて家まばらなりむら紅葉

 

 

古寺に灯のともりたる紅葉哉

という俳句については

 

お寺の灯篭に灯がともって浮かび上がった
紅葉の美しさに感動した俳句

となっています。

 

当時はライトアップの技術がなくて
紅葉は昼間に見るものだったことを考えると

時代を感じる俳句になっています。

 

 

紅葉の俳句:その他

良寛:

うらを見せおもてを見せて散るもみぢ

 

高浜虚子:

一枚の紅葉かつ散る静かさよ

 

 

うらを見せおもてを見せて散るもみぢ

という俳句には

 

紅葉のいいところも悪いところも見せてもらったので

私はもう思い残すことがなく
後は散って自然に還って行くだけ

 

という意味になっています。

 

そして

一枚の紅葉かつ散る静かさよ

という俳句の意味は

 

紅葉する葉もあれば散る葉もあるということで
同じ木についている葉でも別々の行き方をする

という様子を表しています。

 

紅葉に関連した記事はこちらも↓

紅葉の読み方には意味に違いがあるの?

紅葉は英語で 説明をする場合は?

紅葉は何月から おすすめなのは?

 

 

紅葉の俳句で有名なところだと

紅葉の俳句で有名なものは以上です。

 

こうしてみると紅葉というものは
日本の秋を表現するものだからか

有名な詩人も俳句にしていると思いますね。

 

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