夕立の俳句として

 

 

夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ

という種田山頭火の俳句がありますが、

 

上記の夕立の俳句には
どのような意味が存在しているのでしょうか?

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夕立の俳句はこんな意味になっている?

夕立の俳句として

夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ

というものがありますが、

 

上記の俳句の意味合いとしては
以下のように予想がされています。

 

まず夕立というのは

夏の午後から夕方にかけて
突然降りだすにわか雨の事です。

 

なので、
この俳句の状況として

突然の夕立に見舞われた

というのが予想されます。

 

そして、

さっきまで晴れていたのに
急ににわか雨が降ってきたけど、

 

近くに雨宿りできそうなところがなくて
探し回っていたところ、

 

道に祀られているお地蔵さんが
雨にうたれてずぶぬれになってるを見て

 

お地蔵さんも私と同じようにずぶぬれになってる

と思ったのだと予想されています。

 

(その他にも

突然の夕立でずぶぬれになりながらも
慌てて木の下で雨宿りした

とも予想されていますが、

 

どのみにこの俳句の「私」もお地蔵さんも
ずぶぬれになったのには変わりないでしょう。)

 

なので、

夕立によって私もお地蔵さんも
同じようにずぶぬれになってしまったという事で、

 

「私」とお地蔵さんの間に
共通点が生まれた瞬間という事だと思います。

 

なんとなく自分と似た境遇の人が近くにいると
つい声をかけたくなると思いますが、

 

この夕立の俳句にしても
同様の意味があったのではないかと思います。

 

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夕立の俳句は定型はどうなってるの?

夕立ちやお地蔵さんもわたしもずぶぬれ

という俳句はよく見る

 

5・7・5

の定型となっていませんが、

 

上記の夕立の俳句に限らず
作者の種田山頭火の俳句は

 

自由律俳句

と呼ばれる俳句になっていて、

 

自由律俳句の特徴は

5・7・5の定型や季題にとらわれず
自由に作る事ができる

というものになります。

 

なので、

種田山頭火のかくものは
よく俳句と言われて思い浮かぶ

5・7・5の形をとってない俳句になるのです。

 

ちなみに

季語を必ず1つ入れて
5・7・5の形をとってる俳句の事は

 

有季定型

と呼ばれています。

 

また、

夕立やお地蔵さんもわたしもずぶぬれ

という俳句を見てもらえば分かりますが、

 

自由律俳句というのはあくまでも
定型や季題に縛られずに書くものですので、

 

自由律俳句だからといって必ずしも
季語を入れないというわけではありません。

 

 

夕立の俳句まとめ

夕立の俳句については以上です。

 

上記の夕立の俳句は

普段見掛ける5・7・5に
とらわれない内容となっていましたね。

 

ちなみに
夕立に関連した記事は他に

 

夕立は季語としていつ使われる?

夕立は英語で 例文だとどうなる?

 

等でまとめています。

 

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